HomeBottom
関東地方
東京都埼玉県栃木県千葉県茨城県神奈川県群馬県
東北地方
福島県宮城県岩手県青森県山形県秋田県
北海道地方
函館本線根室本線宗谷本線樺太地方
中部・甲信越地方
静岡県愛知県岐阜県山梨県長野県新潟県富山県
石川県福井県
近畿地方
三重県滋賀県京都府大阪府奈良県和歌山県兵庫県
中国地方
岡山県広島県山口県鳥取県島根県
四国地方
香川県徳島県愛媛県高知県
九州・沖縄地方
福岡県熊本県鹿児島県佐賀県長崎県大分県宮崎県
沖縄県
その他
台湾朝鮮関東州

 【長野県】

上諏訪町衣之渡遊廓  は長野県諏訪郡上諏訪町字衣之渡に
在つて、中央線上諏訪駅の南方約三丁の地点に当つて居り、
駅からは直通の大通りが貰通して居るので交通としては甚だ
便利である。
 此の遊廓は明治の初年に初めて設置されたもので、私娼、
飯盛女等の進化したものであるとされて居る。現在娼楼は八
軒あつて、娼妓は三十人居る。店は写真制と陰店制とあるが
写真制の店にも陰店はある。他の制度は総て廻し式で所謂東
京式である。家に依つては多少の相違はあるが、御定りは点
燈から翌朝迄四円五十銭以下二円止りで、一寸した撮み物と
御銚子が一本着く事に成つて居る。勿論一割の遊興税は此の
中に含んで居るのだ。尚此他に一時間遊びと云ふのがあつて
此れに限り廻しは取らない事に成つて居る。此の料金は全部
で一円五十銭であるが、其の代り台の物は一切付かない事に
成つて居る。此の遊廓は比較的都会人が出入して居るにも拘
らず、諄朴で暴利を貪る様な事は無いらしい。娼妓は一枚鑑
札ではあるが、大抵土地つ子が多いので、岡谷小唄、スケー
ト節、伊那節、木曾節等の一くさり位は口づさむ筈である。
町には芸妓も居るので呼ぶ事が出来る。大芸妓一時間玉代一
円、小芸妓一時間玉代七十銭である。
 木曾節「木曾の御嶽夏でも寒い
        袷やり度や 足袋添へて」
 スケート節「諏訪のスケート、手に手を取りて
        オシの番か ぬれこちよう」
 妓楼は、牡丹楼、高島楼、鳳来楼、新鳳来楼、日埜出楼、
長登楼、新泉楼、旭楼の八軒。

塩尻遊廓  長野県東筑摩郡塩尻町に在つて、中央線塩尻駅
下車東へ約二十丁の地点に当つて居る。乗合自動車の便があ
つて、約十分で着く。
 昔から塩尻は中仙道の重要な宿場で、飯盛女と称する宿場
女郎が、盛んに旅人の客席に侍つたものであるが。明治に成
つて初めて一廊に取纏め、現在の如き遊廓を形成したもので
ある。貸座敷は目下九軒あつて、娼妓は全部で三十六人居る。
制度は居稼ぎ制で、陰店に成つて居り、全部廻しを取る仕組
みに成つて居る。御定りは三円で遊興税も含んで居るが御定
り以外に台の物を注文した場合には、其の消費額の一割は遊
興税として掛けられる。御定りの外に上床を要求し度い人は
五十銭を奮発せねばならない。御定り金三円也を支払へば娼
妓の外に酒肴が運ばれ、芸妓一組も酒席に現はれて座を賑は
すと云ふ、誠に面白い風習のある処である。面白い計りでは
なく、三円の御定りにチップの五十銭か一円も奮発したのみ
で、芸妓を揚げて騒げる上に、貸座敷へ一泊が出来ると云ふ
のだから、斯んな安価な処も尠ないと思ふ。昔から茲には塩
尻甚句と云ふ俗謡がある。
  「行かうか塩尻、帰らうか洗馬へ
       ここが思案の枯梗が原」
 妓楼は信陽楼、若竹楼、三喜楼、大和楼、弥生楼、寿楼、
湖尾楼、三盛楼、英楼の九軒である。

松本市遊廓  は長野県松本市横田町に在つて、中央線松本
駅からは約二十丁、駅から横田町迄電車を利用すれば賃九銭。
 松本市は松本平の中心に在つて、旧戸田氏の城下である。
城下は今兵営に成つて居る。附近は養蚕が盛んなので、繭、
糸、蚕卵紙等の取引が多い。松本も一寸上田に似た感じのあ
る処で、活気の溢れて居る処等は殖民地の、殊に台北辺にで
も行つた様な感じのする処である。高等学校が出来てからは
殊に野球熱が盛んに成つて親子兄弟揃つて野球チームに加盟
して居る人も少くない。貸座敷は目下二十二軒あつて、娼妓
は百二十人居るが、多くは新潟県の女である。店は写真式の
家もあれば陰店を張つて居る家もあつてまちまちだ。娼妓は
全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は廻し制で通し花
はとらない。費用は甲が本部屋で酒肴附四円五十銭、乙は廻
し部屋酒肴附二円五十銭、丙は廻し部屋茶菓附一円九十銭で
一泊可能である。娼楼には、船来亭、万舎、大梧大、松鶴楼、
岩亀、第二舶来、梧大楼、角海老、白水、梧中楼、万年楼、
高砂、芳山楼、清江楼、万亀、新舶来、蓬莱、悟三楼、三つ
井楼、吾妻楼、岩井楼等がある。芸妓の玉代は一円、市の北
方約十五丁の処には浅間温泉がある。

長野市遊廓  は長野県長野市東鶴賀町に在つて、中央線長
野駅で下車すれば乗合自動車の便がある。
 長野は元善光寺と云つた処で、善光寺の門前から開らけて
来た仏都である。長野と改称したのは最近で、県庁の所在地
と成つてからは県行政の中心地と成つた。長野を知らぬ人は
あつても、善光寺を知らぬ人は無い。其れ程有名だ。長野に
は善光寺の外に往生寺がある。善光寺の境内から五六丁西へ
行つた往生寺山に在るのだ。石童丸の父、加藤左衛門重氏の
苅萱道心が往生した所だと云ふ。西光寺には苅萱堂がある。
加藤左衛門の開基で、石童丸が父を慕つて来た処だ。茲には
石童丸父子の墓もある。遊廓には貸座敷が廿七軒あつて、店
は陰店を張つて居る。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやら
ない。遊興は東京式の廻し制で費用は御定り甲四円五十残、
乙三円、丙二円見当で台の物が附く。甲は本部屋である。

坂城町遊廓  は長野県埴科郡坂城町字坂城新地に在つて、
信越線坂城駅からは半丁と距つて居ない。
坂城は千曲川の沿岸に在つて、「岩鼻や茲処にも月の友一人」
と芭蕉の詠じた処があつて、殊に「横吹」の勝地や、笄の渡
場附近が風光優美である。昔は御天領の地で、宿場女郎の時
代には、娼家が六十戸もあつて、素晴らしい発展振りだった
が、明治十二年に現在の個所に移転を命ぜられ、集娼制に成
つてからは急に淋れて、現在は貸座敷が七軒あつて、娼妓は
五十人居る。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊
興は廻し花制で通し花は取らない。費用は昼夜の仕切りがあ
つて、昼夜共御定りが一円九十五銭、甲が三円五十銭、乙が
二円五十銭で一泊が出来、且つ台の物が附いて来る。本部屋
は六十銭増し、芸妓は三十分五十銭である。税は額の一割。
内芸妓が居て、頻りと土地の民謡を宣伝して居る。殊に芝居
踊りが評判だ。安価で、純で、のんびりした処である。
 坂城音頭「坂城ヨイトコ信州一よ、
       雪の降るのに花が咲く」ヨイヨイヨイヨイ
       ヨイトサア
     「坂城ヨイトコ千曲の流れ
       鮎の名物河鹿鳴く」 ヨイヨイヨイヨイヨイ
       トサア
 妓楼には春日楼、宮崎楼、新養菊楼、長生楼、北川楼、小
林楼等がある。

上田常磐城遊廓  は長野県上田市花園に在つて、信越線上
田駅で下車すれば北へ約十五六丁の処である。朝五時頃から
夜十時迄は市電が走つて居て、花園停留場で下車すれば宜し
い。朝五時頃から夜八時迄は乗合自動車の便もある。市内を
見物がてらにそぞろ歩いても三十分位で行き得る処である。
 元来上田と云ふ処は、日本でも有数の養蚕地で、信州では
先づ首位の処だらう。現に当市には上田蚕糸専門学校があつ
て、盛んに高等の専門家を養成して居る。其れ程養蚕の盛ん
な処である。従つて市の盛衰も一に生糸の消長に依つて或る
程度の支配を受けて居る訳である。然し生糸の需要は年々増
加する一方で、其の止まる処を知らざる有様である事は諸君
の方が御存じだ。当遊廓は明治十一年に許可されたもので、
敷地は一万歩であつた。当時の同業者はほんの四軒で、娼妓
が廿二名しか居なかつたのであるが、養蚕業と市の発展に伴
ひ、現在では貸座敷業が二十軒、娼妓が百二十六人と云ふ素
晴らしい発展振りである。市政を施かれてから十年そこそこ
の市丈けに、何と無く新開町の気分があり、町全体に覇気が
あつて、殖民地へでも行つた様な感じのする処である。
 店は写真制の店と、陰店の両式に分れて居て、娼妓は居稼
ぎ制で送り込み制では無い。遊び方に時間制の店と、廻し制
の店との両方がある。又店に依つては客の好みに応じて両方
を兼ねて居る家もある。御定りは廻し制で甲が四円、乙が三
円、丙が二円五十銭、税が一割と云ふ事に成つて居る。御定
りは全部本部屋である。茲の娼妓は多く信州の女である。
 茲では里謡「昭和甚句」と云ふのが盛んに唄はれてゐる。
 「夏は七夕上田の新地、秋の花火は日本一よ。
 真田の御櫓上田橋、とこ騒ぎで万々歳」
 妓楼は、葛城楼、大中楼、新中楼、大竹楼、辰巳楼、第二
筑摩楼、高本楼、美豊楼、八幡楼、元一力楼、昭和楼等であ
る。

岩村田町遊廓  は長野岩村田町に在つて、佐久線岩村田駅
で下車する。
 貸座敷は目下十軒あつて、娼妓は約五六十人居るが、新潟
県の女が多い。店は陰店を張つて居て、娼妓は居稼ぎ制、送
り込みはやらない。遊興は廻し花制で、適し花は取らない。
費用は御定りが二円で、本部屋は三円五十銭位からである。
此れで各台の物が附いて一泊が出来る。

湯田中遊廓  は長野県平穏町湯田中に在つて、長野電鉄線
湯田中駅で下車する。
 貸座敷は目下十二軒あつて、娼妓は約百人居るが、新潟県、
及本県下の女が多い。店は陰店を張つて居て、娼妓は居稼ぎ
制、送り込みはやらない。廻し花制で通し花も取つてる。費
用は御定り二円九十銭位で、台の物が附き、本部屋は一円増
し見当で、各一泊が可能である。妓楼は内山楼、崎田楼、白
雲楼、有竹楼、古久屋、白銀楼、丸喜等。

長久保遊廓  長野県小県郡長久保町字新町に在つて、丸子
線丸子駅の南方約二里の地点に当つて居る。丸子駅よりの定
期乗合自動車の便があつて、絶えず汽車との連絡が取れて居
る。片道自動賃は金五十銭である。
 茲は徳川幕府参勤交代の当初から、中仙道の重要な宿場で
あつて、其のの当時既に各旅館では飯盛女(今の娼妓)を置
く事を公許せられて居た場所である。で元は斯様に宿場であ
つたものが、目下では町と少々離れた処に移転して、遊廓と
成つたものである。同業者は四軒娼妓は十六人居る。店は陰
店で、娼妓は居稼ぎ制で、全部東京式の廻し制を採つて居る。
従つて遊興費も比較的安価である。即ち御定りは朝から夕方
迄が一仕切、夕方から翌朝迄が一仕切で三円である。此の三
円の中には、御銚子が一本と肴に小物の二三品は付く筈であ
る。而も遊興税の一割も此の中に含んで居るのだ。比較的諄
朴で暴利を貪る様な事は無い。茲は三円ばつきり持参しても
決して不快を感ずる様な処では無い。芸妓を呼べば玉祝儀共
で一時間一円五十銭の割である。
 長久保甚句「長い長久保、なかれとやけど
          ぬしさん一人は 帰しやせぬ」
 妓楼は三つ蔦楼、高篠楼、若松楼、新栄楼の四軒。


この色の記述は平成15年〜現在のものです。
この色の記述は別の情報を参考にしています。

HomeTop
Copyright (C) 2004 Mingle All Rights Reserved.
  
 


100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!